水族館

 近頃は、動物園はそれほど人気のある場所ではなくなってしまったようだ。娯楽のためなら、東京ディズニーランドのようなずっとエクサイティングな遊園地があるし、教育のためなら、狭いコンクリートの檻のなかに閉じ込められた飽食ぎみの動物を眺めるよりは、カラーテレビで実際の生態を見るほうが気がきいている(1)。サファリ・ランド形式の動物園にしたところで、寒空のもとで震えているライオンや猛暑のなかで喘いでいる白熊が見られるだけである。ところが、動物園よりも歴史の浅い水族館については、いささか事情が違う(2)。というのも、たとえば大阪・天保山ハーバー・ビレッジの海遊館が開園後2年1ヵ月で入場者1000万人を突破したように、近頃は水族館というのはとても人気があるからで、それも子供の行くところというよりは大人の行くデート・スポットになっているらしいのである。海遊館や東京・葛西臨海水族園などは、夕暮れどきにもなると若いカップルたちの姿ばかりが目につく。昔は、水族館も動物園と同じように、子供たちがお母さんに連れられていくところだったはずだ。ところが、今では、水族館の入場者の子供の占める割合は約30%にすぎず、若者の入場者の割合がぐんと増えているのだ(3)

 動物園に人気がないのは当然として、なぜ水族館には人気があるのだろうか。それを知るには実際に行ってみるのが近道だろう。たとえば海遊館では、私たちは4階吹き抜けの巨大水槽(5400トン、深さ9メートル)を前にして、ジンベイザメの巨体が悠然と遊泳し、夥しいアジの群れが回遊するさまを目にするし、葛西臨海水族園の地下に設けられたドーナツ型のパノラマ水槽では、マグロの群れが鱗を銀色に光らせながら次々に私たちの周りをハイスピードで通り過ぎていく。鳥羽や福岡や沖縄の水族館にも同じような巨大水槽があり(4)、ヤング向けの情報誌の言い回しを借りれば、私たちはまるでダイバーとなってブルーの海中を遊泳しているような錯覚に陥り、SF映画さながらの宇宙空間をさまよっているような疑似体験をもつのである。

 こうしてみると、近頃の水族館はいかにもギャルたちの喜びそうなデート・スポットにふさわしい場所である。若いカップルたちがむつみあう〈性〉の儀式を演出するために都会の雑踏の日常性から抜け出した非日常の空間が必要だとすれば、水族館は、都会の人工的な空間からは失われてしまった〈自然〉という非日常の空間を与えてくれる格好の場所ではなかろうか。しかし、騙されてはならない。そこにあるのは巨大水槽の魔術によって作り出されたフィクションの〈自然〉にすぎないからである。多くの水生動物が行き交い、あたかもそこに本当の海があるかのように見えるが、このポリエステルで作られた凝岩や疑似サンゴが配置された人工の海のなかでは食物連鎖といった生物たちが織りなす生態系のネットワークが機能しているわけではないのだ。もちろん、若い恋人たちにとってそんなことはどうでもいいことだ。彼らにとっては水槽のガラスはいわば巨大なスクリーンであって、その上にさまざまな色彩の魚類が描き出す立体映像のSF映画めいた人工的な雰囲気こそ彼らが求めているものなのだから(5)

 水族館が作り出すフィクションとしての〈自然〉──葛西臨海水族園が浦安の東京ディズニー・ランドに隣接していることは象徴的である。かつては油臭い潮風のなかに巨大な港湾施設や工場群が乱立し、人が寄りつくのを拒むような寒々とした雰囲気を漂わせていた港湾地区が、80年代のバブル時代のいわゆるウォーター・フロント開発の掛け声のもとにアーバン・リゾート地区として再開発されていった(6)。その代表が浦安や葛西であり、天保山なのだ。たとえば天保山ハーバー・ビレッジには、海遊館に隣接してレストラン・雑貨・ファッションの店やイベントで賑わう天保山マーケット・プレースがあり、またすぐそばの岸壁からは、なぜかコロンブスのサンタ・マリア号を2倍の規模で復元した大阪湾のクルージング船が発着している。水族館とサンタ・マリア号とはいかにも奇妙な組合せだが、要するに金をもっているヤング層を魅きつけて儲かる商売になればいいわけなのだろう。そのために〈海〉という〈自然〉がもつ非日常的な雰囲気が利用されているだけなのだ。しかし許せないのは、こうしたウォーター・フロント開発を推進している企業や公共団体が、その開発の目的の一つに都市環境のなかで失われてしまった「自然の回復」を挙げていることだ(7)。たとえば天保山ハーバー・ビレッジのすぐ近くには大阪南港海水遊泳場という「人工」の海水浴場があるが、もはや人が泳げなくなった大阪湾岸のプールで泳げるからといって、それで〈自然〉が回復されたと考えるなら、ひどくお粗末である。こうした言い訳をしながら行われるウオーター・フロント開発の欺瞞性は、広大な埋め立て地のなかに水族館や遊園地やプールやヨット・ハーバーを作って〈自然〉を人集めの招き猫にしておきながら、同時に、広大な埋め立てによって海という〈自然〉を平然と破壊し尽くそうとしていることにあるのではなかろうか(8)

(1)D・モリス『動物との契約』(渡辺政隆訳)、平凡社、一九九〇。

 ここで、デール・ジャミーソンのような動物園反対論者が居ることも付け加えておくべきだろう。彼によれば、動物園の目的として掲げられる娯楽・教育・学術研究・種の保存の四点のいずれについても説得力をもたない。彼によれば、動物園は娯楽や教育のためにならないだけではなく、動物園での動物の観察から得られるものは実際の生態の観察からよりもはるかに少ないし、また、絶滅寸前の種を人工的な環境のもとで生存させるというのは、動物を単なる遺伝子の運び屋とするR・ドーキンス風の考えなのである。これについては、P・シンガー編『動物の権利』(戸田清訳)、技術と人間、一九八六、および、R・ドーキンス『利己的な遺伝子』、平凡社、一九九一、を参照。

(2)近代的な動物園は1752年に開園したオーストリアのシェーンブルン動物園が最初であるのに、水族館は1830年のボルドーで開園されたのが最初であるし、日本においても、水族館は1882年の上野動物園の開設時に「観魚室(うおのぞき)」として併設されたにすぎない。ところで、フーコーによれば、珍しい動物の〈見世物〉とは違った近代的な動物園や水族館の成立は、〈表〉のかたちで動植物を分類する博物学の成立と密接に係わっている。佐々木時雄『動物園の歴史』、講談社学術文庫、一九八七、『続動物園の歴史』、西田書店、一九七七、および、ミシェル・フーコー『言葉と物』、新潮社、一九七四、を参照。

(3)鳥羽島照夫『水族館へ行きたくなる本』、リバティ書房、一九九〇。

 ところで、D・モリスは、前掲書のなかで動物園よりも水族館に対する非難が少なかったのは、魚類が動物とは違って「悲鳴」を上げないので、動物愛護論者たちが見過ごしてしまったからにすぎない、としている。実際には水族館に入れられた魚類の死亡率は高く、次々に入れ替えられているのだ。たとえば海遊館では、呼び物の一つであったジンビイザメの一匹「海(かい)くん」が開園後2年で死亡したが、その原因は水槽のガラスにぶつかった傷からの細菌感染ではないかと見られている。

(4)水槽は、かつては強化ガラスを用いるしかなかった。しかし、強化ガラスは鋳型にガラス原料を流し込んで作るため、大きさに限界があり、巨大水槽を作ることができなかった。ところが、ガラス間の接着が可能なアクリル・ガラスの開発により巨大な一枚ガラスを製造することが可能となり、1987年の神戸市立須磨海浜水族園の「波の大水槽」(1200トン)を皮切りに多くの大水槽が作られることとなった。鳥羽島照夫、前掲書、参照。

(5)話が横道に逸れるが、動物園ではなく水族館が若者に人気があるのは、水族館が〈自然〉を無毒無害な純粋な視覚風景として与えてくれる点にあるのかもしれない。動物の異臭が立ち籠める動物園とは違って、水族館は無臭なのだ。近頃は口臭消去剤がよく売れているとも聞くが、汲み取り式の便所しかなく、娯楽も少ない終戦後の混乱期に育って、動物園がこよなく好きだった中高年層とは違い、水洗便所で育った最近の清潔好きの若者は、〈臭い〉に弱いのかもしれない。

(6)ウォーター・フロント開発の変遷については、「神戸市株式会社」との異名をとる神戸市がその好例となろう。神戸市が80年代のなかばまで建設してきたポートアイランドや六甲アイランドは主に海運輸送のコンテナ化に対応するための港湾機能の拡充が主眼であったが、産業構造の転換に伴い港湾取扱貨物量が増加しなくなった80年代後半から造成されたハーバーランドやメリケンパークは、むしろ商業・文化・業務機能の充実に主眼が置かれている。これについては、都市環境研究会『都市とウォーターフロント』、都市文化社、一九八八、を参照。

(7)ウォーター・フロント2001プロジェクト『甦る都市ウォーターフロント』、日本放送出版協会、一九九二。

(8)ここで、人間が自然を破壊することを咎めているからといって、P・シンガーのように、人間以外の動物も苦しみの感覚をもつからという理由で「動物の生存権」をヒステリックに主張したいわけではない。人間中心主義はおおいに結構である。しかし、その際に問題なのは、自然の生態系の破壊が、生態系が人間をもその構成要素として組み込んでいる以上、人間そのものの破壊に繋がるということだ。つまり、自然破壊で問題なのは、人間による人間の破壊であり、動物の生存権の否定というよりは、現在生きている私たちが、私たちの子孫の生存権を否定しているということなのだ。これについては、加藤尚武『環境倫理学のすすめ』、丸善ライブラリー、一九九一、および、P・シンガー『動物の解放』(戸田清訳)、技術と人間、一九八八、を参照。

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