魚住洋一
「世に一つとして同じ樹はなく同じ石はない」とフローベールはモーパッサンヘの手紙のなかで述べていた。たしかにそのとおりである。たとえば、同じ銀杏の樹でもそれぞれ大きさも違えば枝ぶりも違うし、同じ御影石でもそれぞれ光沢も肌合いも違う。しかも、同じこの銀杏の樹にしたところで、刻々とその色合いを変え、陰影を変える。同じこの銀杏の樹といえども、一瞬まえのこの樹と今のこの樹ではまるで違ったものなのだ。何ひとつ同じものはなく、私たちがそのつど出会うものは、つねに新たなものなのである。私たちは、刻々と姿を変えるそうした形なきアモルフォスな世界のただなかにあって、つねに新たなものの洪水に晒されているはずである。しかし、私たちは通常そのことに気づいてはいないし、気づいたとしても、たちどころにそれを否定してしまう。たとえば、子供が「この樹は昨日ここにあったのとは違うよ」と言ったり、「お母さんは昨日のお母さんじゃないよ」と言えば、「馬鹿言うんじゃないよ」の一言で片づけられるか、気違い扱いされてしまうはずである。「日の下に新しき者あらざるなり」と『伝道の書』は語っているが、私たちは、あたかもこの世界のなかに新たなものなどまるで無いかのように振るまい、すべてをことごとく古い鋳型に当て嵌めてしまうのである。あれもこれも同じ銀杏の樹であり、あれもこれも同じ御影石である。私たちは、ステロタイプ化した世界、去勢され平均化された世界に安住してしまっているのだ。
しかし、どうしてこんなことになるのだろうか。このことを理解するためには、私たちの経験の構造というものを改めて考え直してみなければならない。
たとえばフッサールは、「未知性とはつねに同時に既知性の一様態である」と語っている。分かりやすく言えば、私たちがまったく見ず知らずのものに出会ったとしても、私たちはそれを何らかのかたちで既に知っているということである。このパラドキシカルな言葉はいったいどのような意味だろうか。たとえば、私たちが今まで行ったことのない街へはじめて行ったとしてみよう。そこで見る風物のことごとくは私たちにとってまったく見知らぬものであるはずである。ところが、たいてい私たちは、見知らぬものに出会ったという驚きも感じないまま、はじめて見た町並みや人々をまるで今まで何度も見たことがあるかのように平然と眺めるだけであろう。それは、私たちがはじめて見た風物をただちに今までに見た風物に重ね合わせて見てしまうからである。してみると、私たちの現在の知覚はつねに過去の記憶と絡まり合い、過去の記憶によって媒介されているわけである。つまり、知覚というものは孤立したものではなく記憶と一体となっており、また、現在というものは点的なものではなく過去と連続しているのであって、だからこそ、私たちにとって未知なものが同時に既知のものだというパラドキシカルな事態が生じるのである。
ここでまず問題となるのは、時間というものが私たちにとってどのようなものかということだろう。時間には、過去・現在・未来という三つの次元がある。過去とはもはやないものであり、現在とは今あるものであり、未来とはまだないものである。そうした過去と現在と未来は、「ある」と「ない」という存在様相の違いによって、歴然と区別されるはずである。しかし、私たちにとっては、そうした過去と現在と未来の区別はまったく無効とされてしまっているのではなかろうか。というのも、私たちにとっては、すでにないはずの過去が記憶というかたちで現在もなお存在しつづけているのであり、記憶というかたちで存在しつづけているこの過去が現在や未来に浸透しそれらを過去との連続性のなかに平準化してしまうからである。訳の分からぬ未知のものが待ち受けているはずの未来も、私たちにとっては逆転した過去にすぎず、インクが塗られた紙を折り返すように、馴染みのある既知のものが現れてくるだけであり、未知のものが現れるおぞましい戦慄など徴塵もないのだ。デジャ・ヴュ、つまり、いわゆる既視感覚とは異常な事態ではなく、私たちの経験はことごとくデジャ・ヴュにすぎないのではなかろうか。
こうしてみると、私たちにとっての時間とは、木村敏が語っていた鬱病患者の時間のようなものである。木村敏は、過去も現在も未来も、過ぎ去った未知なるもの、今まさに訪れている未知なるもの、到来しようとしている未知なるものとして意識され、すべての時間様相が未来の圧倒的優位のもとにある分裂病患者のアンテ・フェストウム(前夜祭)的時間に対して、鬱病患者の時間をポスト・フェストゥム(後の祭)的時間と名づけているが、それはすべての時間が現在完了形で表されるような時間であって、未完了性、未済性をもつはずの未来さえ未済のまま完了してしまっており、すべての時間が「取り返しのつかない」確定性において経験される、そういった時間である。しかし、どうして私たちの時間は分裂病患者の時間ではなく鬱病患者の時間に似ているのだろうか。私たちは鬱病患者のポスト・フェストゥム的時間を捨て去って、分裂病患者のアンテ・フェストゥム的時間を取り戻せないのだろうか。
しかし、そのことを考えるまえに、私たちの経験を制約しているいま一つの契機について考えなければならない。というのも、私たちが経験するものが過去の記憶に浸透されるとしても、それは、私たちが経験する個別的なものがつねに何らかの一般性の枠組みのもとに類型化されて経験されるからにほかならない。一つ一つのものがあくまでも個別的なものとして経験されるならば、現在の経験が過去の記憶によって浸食されるなどということは起こりえないはずである。それが起こるということは、そこに類型化が働いている証拠である。つまり、私たちの経験が過去の記億に浸食されるのは、私たちが現在経験しているものを過去に経験したものと平準化するような類型化の働きのせいなのである。たとえば、さきほど引用したフッサールも「私たちにあらかじめ与えられる環境世界はすでにさまざまな類や種によって類型化されている」として、私たちの経験の枠組みの類型性について指摘していた。私たちは、ここにあるこの家を家というものの一つとして見ているのであり、ここに見られるのもそこに見られるのも同じ「家」なのである。このことは、私たちの経験が私たちに与えられるさまざまな事物の無媒介な受容ではなく、解釈を媒介としてはじめて成り立つということにほかならない。ハイデガーは、私たちの経験には、つねに或るものを或るものとして(etwas als etwas)経験するという「として-構造」(als-Struktur)が見出されると指摘していたが、私たちは、私たちに与えられるものをそのまま受け取っているわけではなく、それに何らかの解釈をつねに施しているのであって、たとえば、今私たちが騒音を耳にしたとして、私たちはそれを訳も分からずにただ聞いているのではなく、それをモーターバイクの排気音として解釈しながら聞いているのである。ところで、このように私たちの経験がつねに解釈によって媒介されているということになると、いったいどのような問題が生じるだろうか。
たとえば、小林秀雄はこう語っていた。「子供は母親から海は青いものだと教へられる。この子供が品川の海を写生しようとして、眼前の海の色を見た時、それが青くもない赤くもない事を感じて、愕然として、色鉛筆を投げだしたとしたら彼は天才だ、然し嘗て世間にそんな怪物は生れなかっただけだ」。彼はこう語った箇所で、言語というものの公共的性格に言及し、人々が各々の内面論理を捨てて言語が本来もつ社会的実践性の海に投身してしまった結果、「この報酬として生き生きした社会関係を獲得したが、又、罰として、言葉はさまざまなる意匠として、彼等の法則をもつて、彼等の魔術をもつて人々を支配するに至つた」とも付け加えていた。彼が語ろうとしていたのは、ガダマーも指摘していたような「経験の言語性」という問題であろう。云うまでもなく、この経験の言語性は経験の解釈性と深く絡まりあっている。というのも、或るものを或るものとして解釈する経験の「として-構造」が言語的な意味分節の影響を被ることは、いわば不可避だからである。だとすれば、このこととの関わりでどうしても触れておかねばならないのは、言語学者ソシュールの主張である。彼は、言語というものがあらかじめ区分けされて存在している事物や観念の代理にすぎないとする伝統的な言語論を批判し、言語なしでは事物も観念もなく、言語の差異化の働きを通してはじめて事物や観念の区分けが成立すると主張したのである。つまり、ソシュールは、世界は言語の網の目を通してはじめて切り分けられるのであり、言語こそ形なき混沌とした世界にはじめて形を与える当のものだと考えたのである。ソシュールのいわば「言分け」(丸山圭三郎)とも呼ぶべきこの主張に従うならば、私たちの経験は、それがたとえ言語以前的なものであるとしても、すでに言語による分節化と類型化を被っていることになるわけである。このことは、言語が違えば、世界の分節化や類型化も違うということを考えれば納得がいくだろう。たとえば、虹を見るとき、日本人ならばそれを紫、藍、青、緑、黄、橙、赤の七色のものとして見るだろうが、英米人ならばそれをpurple, blue, green, yellow, orange, red の六色にしか見ないだろう。私たちが見るもの、聞くものは、それぞれの言語共同体の言語によってゲシュタルト化されているわけである。
しかし、経験がつねに言語によって媒介されているということになると、また別の問題が生じてくる。それは、経験の私的性格の剥奪という問題である。経験とは私たちがそれぞれ違ったかたちでなす私的なものであるはずであり、他者の経験と取り替えられるようなものではけっしてないはずである。ところが、私たちの経験においてなされる解釈が言語によって媒介されているとなると、この解釈は、私たちのそれぞれに委ねられたものではなく、むしろそれぞれの言語共同体において制度化されたものだということになってしまう。このことは、私たちの経験の解釈の枠組みとしての解読格子が言語というかたちで同型化されているということにほかならない。そうなると、それぞれ別の経験であるはずの私たちの経験は、同じような経験に均一化されてしまうことになる。つまり、経験への言語の介入は、私たちの経験からその私的性格を奪い、それを公共的なものにしてしまうのである。たとえば、フッサールは「コミュニケーション共同体においては、誰もが私の見るものを見、誰もが私の聞くものを聞く」と語っていたが、言語の驚嘆すべき力は、本来私的なものであるはずの経験に介入して、それをそれぞれの言語共同体において同型化された平均的なものに変えてしまうのである。
ところで、言語が経験に介入してくるということは、言語とともにさまざまなものが一挙に経験に介入してくるということである。というのも、それぞれの言語のなかには、その言語共同体のさまざまな慣習や習俗が、その共同体固有のものの見方や考え方をも含めて、反映されて凝縮されているからである。つまり、それれぞの言語共同体に固有な先入観としてのいわゆる「常識」が、言語というかたちに制度化されて私たちの経験に介入してくるのであり、いわばフランシス・ベーコンが「市場のイドラ」(idola fori)と呼んだ言語についての盲信に加えて、彼が「劇場のイドラ」(idola theatri)と呼んだ社会的偏見が私たちの経験を毒することになるのである。
さて、経験とはそのつど新たなものの経験であったはずであるし、私たちがそれぞれ違ったかたちでなす私的な経験であったはずである。ところが、経験が解釈を、しかも言語的な解釈を媒介しているということになると、このことはたちどころに否定されてしまう。つまり、そのつど新たなものであるはずの私たちが出会う一切のものは、つねにその解釈によってステロタイプ化された陳腐なものになりさがってしまうことになるし、私たちがそれぞれに違ったかたちでなすはずの経験は、その解釈の枠組みとしての解読格子の同型性のためにことごとく均一化されてしまうのである。しかし、そうだとしても、どうしてこんなことになってしまうのだろうか。それは、一つには私たちが形なきカオスのなかでは生きていくことができず、意味と秩序なしには生きていくことができないからであるし、また一つには私たちがつねに他者とのコミュニケーションを求めるような、他者なしには生きていくことができない社会的動物だからである。こうした私たちのありかたの代償が、私たちの経験の陳腐なステロタイプ化なのである。しかし、経験というものが、それを経験するものにとってそれぞれ別個な、そのつど新たなものの経験であってはじめて経験たりうるとすれば、この代償とは、まさしく経験そのものの否定ではなかろうか。
だとすれば、何かを経験するためには、私たちは、私たちの経験を平準化することでそれを台無しにしてしまっているこうした経験の解釈の枠組みを打ち破らなければならないはずである。しかし、意味と秩序なしでは生きていくことができず、他者なしでは生きていくことができない私たちにとって、そのようなことがはたして可能なのだろうか。おそらく、そのようなことは私たちの側からはけっして可能とはならないであろう。私たちは、意味と秩序を守り、他者との繋がりを守るためにも、経験の枠組みをそのつど出会うものに合わせて捨て去ったりするはずはないのである。むしろ、私たちが経験の枠組みを捨て去ることがあるとすれば、それは、そこで出会われるものの側から私たちがそうせざるをえなくなるような状況に追い込まれたときであろう。しかし、私たちが新たなものに出会ったというだけでは、私たちをそうした状況に追い込むには十分ではない。私たちはそうした状況に追い込まれるのは、その何ものかが私たちに襲いかかって、私たちを混乱と狼狽に陥し入れるときであり、それが私たちに「どうしたんだ!」という驚愕や戦慄を掻き立てるときである。そうした混乱や狼狽、驚愕や戦慄は、その何ものかによって私たちが危機に瀕し、しかも私たちがそれにどう対処すればよいのか分からなくなった証拠である。このことは、私たちが、その何ものかが「何であるのか」が分からないというよりはむしろその何ものかに対して「どうすればよいのか」が分からなくなったということである。「どうすればよいのか」が分かっているのであれば、私たちのそうした動揺はけっして生じないであろう。だとすれば、問題は、認識の次元にあるというよりはむしろ実践の次元にあると言わねばならない。というのも、私たちの経験の枠組みが打ち破られるのは、それにどう対処すればよいのか分からないような何ものかに私たちが出会ったときであり、私たちの今までの行為のパターンが通用しなくなったときだからである。このようなときにこそ、私たちは自分たちが現在出会っているものが、過去に経験したものや他者が経験しているものと同じ枠組みに収まりきらないのだということをはじめて思い知らされるのである。こうしてみると、経験を生み出すのは行為の挫折にほかならず、そうした意味で経験とはつねに「痛々しい」ものであり、私たちは、何事かを経験するためには、それを文字通り「身をもって」経験しなければならないのである。たとえば、幼児が火を扱うことを学ぶには、一度は火傷しなければならないということを考えればよい。ガダマ−も、経験とは受苦(leiden)であると述べ、さらに次のように語っていた。「経験がまずもって苦痛な不愉快なものであることは、けっして何か特殊な暗さを意味しているのではなく、むしろそれは経験の本性から直接に理解されることである。われわれが新たなものの経験に達するのは、否定的な審級を通してだけである。経験の名に値する経験はすべて、予期を裏切るものである」。
しかし、私たちの行為を挫折させるような何ものかに出会ったとき、私たちの経験の枠組みが打ち破られて、新たなものの経験の可能性が拓かれるのだとしても、そのときその何ものかが私たちの経験の枠組みを完膚なきまでに打ち破ってしまうのだとすれば、それを私たちは本当に経験することができるのだろうか。私たちは、経験の枠組みを失うと同時に、その何かを解釈する一切の手掛かりを失ってしまうのである。だとすれば、私たちが出会うものは、訳の分からぬカオス、一切の解釈を拒む「荒々しい事実」(factum brutum)にほかならず、私たちは何も分からないままにそれに翻弄されるだけではなかろうか。
たしかに、私たちがそれに対してただ手を拱いているだけならその通りであろう。しかし、私たちがそれと対決しつつ、痛い目に会いながら試行錯誤を繰り返すなかで、その訳の分からぬものに対処する方途を掴んだとすれば、事情は違ってくるであろう。そのときには私たちは何事かを経験する可能性を実際に手にしたのである。これは、どういうことだろうか。それは、経験の古い枠組みを打ち破るきっかけを与えてくれるのが行為の次元であったのと同様に、経験の新たな枠組みを形づくるきっかけを与えてくれるのもまた行為の次元だということである。私たちが出会ったものを、古い枠組みに当て嵌めて解釈するのではなく、まったく新たな枠組みのもので解釈する可能性を拓くのは、その何かに対して私たちがなす行為なのである。何か得体の知れないものが現れたとしても、それに対してなす行為のなかから、それに対処しうる方途を掴んだとすれば、私たちはそれを私たちの意のままにできるようになり、それに新たな解釈の枠組みを与える可能性が拓かれるのである。
しかし、これで話が大団円に終わるかというと、実はそうは問屋が卸さないのだ。というのも、そうした新たな枠組みのもとで経験を解釈しようとする企ては、それが新たなものであればあるほど、当該の言語共同体の古い枠組みとしてのいわゆる「常識」に抵触し、それを当然のものと見做す人々の反感と反発を大いに招くからである。きわめて啓蒙的なアンデルセンの『裸の王様』では、「王様は裸だ」と叫ぶ子供の声が皆の目を醒ますことになるが、そんなことは実際には希有の例に属するのであって、むしろこの子供が気違い扱いされるのが本当のところであろう。問題は、経験の解釈図式が、その言語性ゆえに、その言語共同体において制度化されたものだということにある。実際には、皆が見るものこそ真実なのであって、皆が見ないものを見る者は気が狂っている、とされてしまうのである。してみると、新たな経験の可能性には、きわめて僅かな希望しかないことになる。仮にただ一人で新たな経験の枠組みを見出したとしても、気違い扱いされたり除け者扱いされたりされなければむしろ幸いと云うべきであろう。
こう考えてみると、私たちが経験と称しているものは、そのほとんどがウソッパチの経験である。経験というものは、物事を見たり聞いたりするだけの単なる認識の問題というよりはむしろ私たちが身をもってなす実践の問題であるばかりか、それが皆の「常識」に対立する営みであるときには、ほとんど狂気とも見做されかねないような危うい営みなのである。新たな経験が新たな経験として認められるためには、何よりもまず制度化されたこの「常識」を打ち破らなければならないのである。だとすれば、新たな経験の可能性は、むしろ見果てぬ夢としての「革命」の可能性にきわめて近いのではなかろうか。